陸前高田市“桜ライン311” 【後篇】

3月2日 朝食後に宿の主人から震災当日の説明を30分受ける。海の底が見えたこと、すぐ下まで津波がきてしまったこと、対岸に見える高田高校の体育館が本館にぶつかって崩れてしまったこと、高田高校では20人もの生徒・先生方が死亡や行方不明とのことなど延々と災害状況を主人は語り続けました。

その後事務局に集合し昨晩の苗を車輌に積載しあすの予定現場各所に向け出発。作業内容は、植栽場所へ搬入・地権者への植栽ポイント確認・苗の養生保管の依頼等です。苗木の数は56本。

お会いできた地権者の皆様は事務局へ桜を植える希望を出した方々でした。お母様が遺体で発見された場所であったり、ご夫婦で避難し瓦礫の山が押し寄せてくるのを眺めていた場所であったり、家が流されないように震えて見守っていた場所であったり、みんなそれぞれの被災時の思い入れの深い場所に植えてくれとの指定でした。

また、地権者の皆様は自分が東京から来たというと旅館のご主人と同様に震災の様子を長時間語られました。被災者同士では語られないことが東京からきた私たちに向け、正に堰をきったようにしゃべる方が殆どでした。甥っ子が亡くなって今日が法事ということや、娘と孫が皆死んでしまった、隣近所が行方不明になっているなど其々の思いを話されておりました。

夜間作業はタンクへの水詰め、ガソリンの給油、破損した枝の保護剤塗布等の準備作業をしました。

3月3日 ボランティアの皆さんを迎えての本番当日。

ボランティア集合会場光照寺へ昨晩の備品用品搬入をした後に雪かき等をして参加者の通路を確保しました。各グループ別に備品・道具を仕分けしグループ班を表示しました。

40人からの皆さんを迎えた後、全体説明会で意思統一が図られました。屋外にて苗の植え方講習があり講師の補助係をさせて頂きました。

ボランティアの皆さんを送りだした後は、1つの現場に行き困難な土掘り作業の問題を事務局と連絡を取りながら対処しました。地方のテレビ局などの取材チームもこの現場に撮影に来られていました。

以下、藤安さんの所感です。

くみあい船舶株式会社様から今回のサポート業務のご依頼を頂いた時は喜んでお受けいたしました。植樹や屋上緑化、植木屋としての知識と経験も活かせるとも考えておりましたが・・・。 被害の大きさを目の当たりにして、何ら役に立てなかった自身に失望し、今までの災害支援活動で経験しなかった脱力感・無力感に襲われました。

報道はされませんでしたが、一時避難した大型建物が水没し1人が助かり190人が水死したとか小学校で40人以上のこどもが亡くなっていることなどを聞かされました。避難誘導していた消防団員の仲間たちの死亡、女子高校生の同窓生が20人も死んでしまった話など滞在中に皆がそれぞれ、たくさんの悲しい思いを聞かせてくれました。

また仮設の街では、1年目の法事という時期でもあり喪服を着た現地の方を多く見ました。コンビニの支払いで並んでいる時喪服の女性が先頭に割り込んで来て、レジ係の女性と「ああ、生きてたんネー!」と抱き合って泣きだす。ラーメン屋でも再開の涙と嗚咽。東京の日常ではありえない現状を見ました。

気仙沼の被災地にも行きました。多くの建物が壊れ、街の機能が壊れていました。しかし、こちら陸前高田は何もない、見渡す限りの荒れ地でここににぎやかな商店街住まいがあったことなど想像もできない。陸前高田市は街が消失してことでより絶望的であることが気仙沼を見たことで判りました。

東京に帰り安堵していた時、事務局の副代表 佐藤一男さんから携帯に電話が入りました。運営成功のご報告と丁寧な御礼のことばを頂きました。

今後は何十年かかっても桜を見守っていきます、との言葉に私も協力の申し出を致しました。今の気持ちが風化しないよう毎年現地に行き、自分に出来る範囲の支援活動を継続していきたいと思います。

以上藤安さんからでした。

当社より・・・

この度は、くみあい船舶の祈りが陸前高田に届きましたこと、大変嬉しく存じます。我々独自では到底参加不可能と諦めていた桜ライン311プロジェクトに参加できましたのはひとえに緑化隊の皆様のお陰と心より感謝いたします。

藤安さんからの報告を受け、いかにマスコミから得る情報が乏しくかつ偏ってるかを実感しました。現場を知る人ならではの具体的な提案を今後の課題として考えていきたいと思います。

今年は会社創立40周年。

一歩踏み出して初めて見えてくるものに驚き、学びながら今後も「未来企画室」らしい挑戦をしていきたいと思っています!!

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